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一進一退、意味不明。
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今日の午前中くらいまで最悪でした。
仕事中にお腹押さえて座り込むくらい。(休めよ;;)
男社会で仕事してるので、体調不良の理由を言えなかったのが一番辛かったです。

ああ、でも。近年で一番ひどい生理痛だった(ホルモン補充療法の副作用?)。
血圧がどんどん下がるのも実感したし。

なんとか峠を越えた感じです。
明日から、ホルモン剤をまた飲みはじめます。

これで止まれば、薬が効きだした証になるようですが、つーか、土曜日から金沢行くから、まじに止まってほしい。

話は変わって。

そういえばすっかり言い忘れてしまってましたが、「風の澪標 後編」で、「風の偏倚シリーズ、第一部完」です。

いやー、素で言い忘れていた。
どこにも書いてないや(爆)

昔、学校の授業で、家族の戦争体験を聞くということがありました。

ナガサキで知人友人をたくさん失くした、母方の祖母。
中国大陸で苦労した、父方の祖母。

二人とも、祖父の英断で戦争末期の混乱を生き抜きました。
母方の祖父は、長崎は危ないと直感して家族を隣県の山間部に疎開させました。
父方の祖父は、ハルピンでの現地招集をきっかけに「日本は負ける」と確信して、まだ安全なうちに祖母と父を日本に戻したそうです。(あの時代にはっきりと「日本は負ける」と言い切ったそうです)

でも、二人とも、楽しかったことだけしか話してくれませんでした。
当時の担任に「苦労したことは話してくれなかったの?」と何度も聞かれました。
中国大陸からの引き揚げ経験と長崎の経験を近親で語れる存在を持つ子供は、この地方では珍しい存在だったようで、根掘り葉掘り聞かれました。
でも、辛い記憶になると、泣き出す二人に、なにも聞けませんでした。

なにも聞けないまま、二人は既に鬼籍の人です。
私が生まれるはるか前に亡くなった祖父たちは、8月にどんな決断したのかと時々思うことがあります。

私の体に先天性の発育障害があると知った時、優しかった母方の祖母が、一度だけ険しい表情をしたことが、今でも忘れられません。

「ピカのせいじゃなかと?」

厳しい声でした。
祖父だけ、長崎で二次被爆し、ガンで早くになくなったことを、その時初めて聞きました。
そんな顔も知らない祖父は、原爆症に認定されていません。
だから、因果関係なんて誰にも分からないのです。

8月9日。今日は、長崎の原爆忌です。
「しょうがない」とあきらめたらいけないことは、確かに、ある。

実はまだ一度も長崎に行ったことがありません。
いつか、行きたいところです。

出来たら、8月9日に。

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